2003年の旅 レゾリュート〜ケンブリッジベイ1000km無補給単独徒歩行 |
| 3月5日 私は今、カナダのエドモントンから100kmほど郊外のカムロースという町にいる。ここに私の友人で、北極のガイドもしているピーターさんの 家がある。3月8日にレゾリュートに入るまではここで買い物をしたりして時差ボケをなおしながら過ごすつもりだ。 カムロースは都会のエドモントンは違って小さな町でとても寒い。昨日ここに着いた時にはマイナス20℃ほどで、今日がマイナス10℃ほど、 あたり一面雪景色で、道すがらに見える景色は真っ直ぐな地平線とどこまでも続く農場だけ。去年暖かい時に来たときには農場には牛や馬たちが いたけれども、今はまだ寒いので別のところに移動させられているらしい。 日本を3月4日の午後5時15分の飛行機で出た私は、3分の2程にしか席の埋まっていないボーイング747のエコノミークラスに揺られながら一路カナダを目指した。 飛行機が飛び立つと2時間ほどして機内食が出る。チキンのトマト煮込みらしきものを食べ、残らず平らげると直ぐに眠気が襲ってきた。 数時間後、何か腹の調子がおかしい。食べた物が消化されているような気配がない。気分も悪い。朝食も出たが殆ど食べずにジュースだけ飲む。すると猛烈な吐き気が襲ってきた。 トイレに駆け込み液状のものを吐き出した。これはきっと例のチキンのせいじゃないだろうか、きっとそうに違いない。うーむ、ヘンなものを食べてしまった。 4日の午前9時にバンクーバーに到着する。いつもここのイミグレーション(入国審査)で長ーい列が出来ているのだが、今回は時間が早いせいか殆ど列もなく、 すんなり入国となった。しかし次の問題が税関員との戦いなのだ。いつも大量の荷物(今回は160センチサイズの箱3つ、100センチサイズ1箱、ダッフルバッグ1つ、 スキー1セット、バックパック1つ)を2台のカートを横に並べてガラガラ押しているので、どう見ても目立つ。「ちょっと待て、何が入っているんだ?」と聞かれる。 一昨年は全ての荷物を開けられ、昨年はお咎めなし、さて今年はどうかと思ったら案の定止められた。「何が入っている?」こんな時は黙らずに話し続けるのが上策。 「北極にエクスペディションに行くんだよ、1000km歩くんだ。これは全部キャンプ道具で、テント、寝袋、マット、スキー、食料なんかが入っているよ。 とても寒いんだよ、−40℃くらいかな、クマもいるしとても怖いけどわざわざ日本から来たんだ、いい所だよ。行ったことある?」私はダッフルバッグもバックパックも 着ているフリースもノースフェイスで、箱にはノースフェイスのステッカーを張っている。それを見てか、若い係員は「ノースフェイスの使い心地はどうだい?」 などと聞いてくるので「おお、当然良いとも」と答えると、「行っていいよ」と言われた。どうやら彼もアウトドアが好きなようだ。 バンクーバーから次のエドモントン行きの飛行機に荷物を預け、1時間半ほどのフライトでエドモントンに到着した。友人のピーターさんが飛行場に迎えに来てくれていた。 彼のトラックに荷物を積み込み100kmほど郊外のカムロースという町のピーターさんの自宅に向かう。 その日はとても疲れていたのもあってピーターさんの家に着いてもすぐに寝てしまった。 翌5日はまだ直らない時差ぼけにボーっとしながら買い物をしたりして一日を何となく過ごす。 3月6日 今日は一日買い物の日。スーパーに行って食糧を買ったり、アウトドアショップに行って買い物をする。こちらのアウトドアショップはやはり本場だけあって品揃えが良い。 日本だとどうしても「アウトドアファッションショップ」的な店が多く、店内の90%が同じようなウェアで占められ、キャンプ道具は片隅に追いやられほこりをかぶっている、 そんな店がよくある。 夜になってようやくネットに繋ぐことが出来るようになった。しかし問題はレゾリュートだ。接続環境は圧倒的に悪くなるだろう。明後日レゾリュートに入る予定だ。 さて今年のレゾリュートはどんな様子だろうか。 3月8日 ついに今日レゾリュートに入る。午前9時にピーターさんの家を出て、車で空港まで送ってもらう。こっちの田舎道は信号もない真っ直ぐな道が延々続き、 みんな時速100キロ以上で凍った道をかっ飛ばしている。 11時30分発のカナディアンノースに乗り込み、まずは一路イエローナイフを目指す。ボーイング737のジェット機の後ろ半分の座席のみの使用で満席。日本人がたくさんいる。 イエローナイフといえばオーロラ観光の中心都市だ、今の時期はまさに真っ盛りなのである。日本語の飛び交う機内で1時間半ほど過ごすとイエローナイフ着。 イエローナイフは雪だった。高緯度地域では雪の降る日は暖かい日である。イエローナイフは思ったより暖かかった。おそらく−10℃ほどだろう。 空港には溢れんばかりの日本人。ここはどこの国かと疑ってしまうほどだ。次に目指すはケンブリッジベイ、ここまではボーイング737のジェット機が就航している。 去年まではイエローナイフからレゾリュートでダイレクトのジェット機があったのだが、レゾリュートの北にある鉱山が昨年夏で閉山したのをきっかけに、 利用者激減のあおりをくって路線が廃止になってしまった。 イエローナイフを2時10分発、エドモントンから来たのと同じ飛行機でさらに北を目指す。乗客は20人ほどに減ってしまった。ここに乗っている日本人は私一人。 ここも1時間半ほどのフライトでケンブリッジベイに着いた。ここが今回のエクスペディションの目的地である。レゾリュートに行ったらここまで歩いて戻ってくるのだ。 よく頭に焼き付けておこう。 ケンブリッジベイはちょうど日没の時間、水平線に迫った太陽の両サイドに光の柱が見える。特に珍しい現象ではないが、これを見ると「北にやってきたんだなあ」 と思うのだ。さて、ここからが問題なのである。今まではレゾリュートまでジェット機だったが今年からはものすごーく小さなキングエアー100という10人乗りの プロペラ機。私の荷物を全て積みきれるかという問題がある。乗客が少なければいけるだろうが、多いと難しいかもしれない。カウンターで「何人乗るの?」と聞くと、 「今日は4人ね」とのこと。うーむ、微妙だ。
4時30分発がやや遅れて5時に搭乗開始。搭乗といってもそんな大げさな飛行機ではない。狭い機内は小さな座席が左右に5個づつ並び、その延長にパイロットが座っている。
パイロットとの仕切りもなく手を伸ばせばパイロットの頭に手が届く。機内には私の荷物が全て積まれていた。よかったよかった、これで一安心である。
乗客4人、パイロット2人の飛行機は機内にガソリンの臭いを充満させて甲高いエンジン音を発しながら飛び立った。ちょうど飛行機の飛ぶコースは私の歩く予定のコースのほぼ上を飛ぶので、飛行機から海氷状態をチェックしようかと思っていたのだが、日没時で暗く見ることは出来なかった。 レゾリュートまで2時間のフライト、パイロットは安定軌道に入ると雑誌を広げてリラックスしている。レゾリュート時間の午後8時、ついにレゾリュート着。 4年連続4回目のレゾリュートである。空港にはテリーさんというレゾリュートで25年前から冒険家の世話をしてきた女性が迎えに来てくれている。 95年に旦那さんを亡くし、今はもう基本的に冒険家の世話は辞めている。経営していたロッジも旦那さんが亡くなって数年後に売ってしまった。 テリーさんと旦那さんのベーゼルさんが初めてサポートしたのが植村直己さん。北極圏1万2千キロをやったときだ。テリーさんにそのときの事を聞くと、 当時住んでいたグリスフィヨルドにある日突然グリーンランドから一人の男がやってきた。時々グリーンランドから犬ぞりは来るが、普通は数人のチームで来るのだが、 その男は一人。ベーゼルさんが「ようこそグリーンランダー(グリーンランドエスキモー)」と手を差し伸べると、「ノーノー、アイアムジャパニーズ」と言った。 顔にでっかい凍傷を作り、着ている物も顔も全くのグリーンランドエスキモーそのものだったのだ。 3月9日
レゾリュートに来て一夜明けた。ネットに繋ぐことは出来たが、通信速度が極端に遅く、画像を送るのは難しそうだ。村の中をブラブラ歩いていると知り合いに会う。毎年来ていると友人も増えるものだ。気温は−30℃ほどで安定している。晴れていて風もないので気持ちがいい。 子供は風の子とはよく言ったもので、−30℃だろうが関係なく外で遊んでいる。村の中にはそこら辺に無造作にアザラシが転がっている。 一つ大きな真っ赤な肉の塊を見つけたので、「これ何の肉?」と聞いてみたら「ポーラーベアー」との事。つまりシロクマね。解体したてらしくすごい脂くさい臭気を放っている。 思わず写真に収める。日本ではどうがんばっても解体したてのシロクマの肉なんてお目にかかれない。 なるべく外にいるように心がけている。まずは体を低温乾燥に慣らさないといけない。最近はじめた一眼レフカメラが役に立つ。ただ外にいるだけだと飽きてきてしまうが、 カメラがあると写真を撮っているうちに自然と外にいるようになる。山だと高度順応というのがあるが、極地だと低温順応といったところか。 夜、テリーさんの友人のお宅で夕食をご馳走になる。数人来ていて、ネイティブの英語が私の頭の上で飛び交い、全く会話に入れない。自分の英語力のなさを呪う日であった。 3月10日 フィンランドから北磁極まで歩くというグループが来ている。今日彼らは出発するのだという。彼らの写真を撮り、話しをする。しかし一向に出発する気配がない。 ソリなんかは外に出して、さあ歩くぞ!といった体制だが、どうやらホテルの支払いでトラブってるようだ。クレジットカードがうまく機能しないらしい。 場所が場所だけに都会には無い問題があるのだ。 村の中を今日もフラフラ歩く。去年補給に来てくれたイヌイットのノーマンと出会った。顔を見るなり「ウェルカムバック」と言ってくれた。彼は今、村中のゴミを回収する仕事をしているようだ。 2時くらいになってようやくフィンランドチームが動き出した。問題は解決したようだ。北磁極は毎年動いていて、3年前に私達が行った時よりも100キロは遠ざかっている。 北極点遠征の為のトレーニングとして行かれることの多かった北磁極だが、トレーニングどころか北磁極に行くことも難しくなっている。 フィンランドチームを見送った後、友人のイヌイットのランディを探す。スポーツハンターのガイドに出ていて、昨日戻ってきたらしい。レゾリュートの沖の海氷状態や、 クマの数について最新の情報を持っているはずだ。一度ランディを見かけたが、スノーモービルに乗っていてどこかへ走り去ってしまった。 スポーツハンターという種族はあまり好きではない。しかしそのガイドをしてイヌイットには現金収入が入るのだから、彼らにとっては大切なお客さんだ。 イヌイットの文化や習慣が過去のものとなっているのは今や事実だが、この寒い地にいる限りイヌイットはイヌイットとして誇り高く生きるだろう。 小学生くらいの子供が犬を何頭も引き連れて一緒に遊んでいるのを見ると、ある種の威厳のようなものすら感じる。 夜になってようやくランディと会うことが出来た。レゾリュート沖は今年シロクマがやたらと多いらしい。ガイドに出ている時に一日に15頭見たという。これは大問題である。 考える必要があるだろう。 3月11日 一日中食料のパッキングをして過ごす。レゾリュートには一軒だけレストランがある。いつも泊まっているホテルの食堂なのだが、ここは誰でも食事が出来る。 いつもはそこに泊まっているのだが、今回はテリーさんの自宅に泊めてもらっているので食事だけそこで済ませている。そこには食事時に人が集まってくるので情報収集には とてもいい場所である。イヌイットで最近狩りに出た人に海氷状態を聞いたり、今年の気象状況を聞いたりできる。それによると昨年の12月から1月2月ととても風が強かったらしい。 風が強いというのは何を示しているかというと、氷が薄いということである。海氷はその時期に凍り始めて次第に厚みを増していく。しかし強い風が毎日吹くと薄く張った氷が 風に流されて何処かへ行ってしまう。せっかく張った氷がまた張り直しになってしまい、それが続くと氷が全体的に薄いものとなってしまうのだ。友人のランディが言うには、 海氷上に薄く積もった雪もソルティ(塩辛い)だとの事。飲み水は多くの場合海氷上の雪を溶かして飲むが、風が強いと積雪に厚みがないので海氷から塩分を吸収してしまった 雪を飲むことになってしまう。旧年氷(数シーズン溶けずに残った氷)なら塩分を含んでいないので飲むことが出来る。しかしどこにでもあるものでもない。 更にそのような旧年氷の集まっている場所は乱氷帯で、そこにはクマも集まって来るので危険である。つまり、雪が少ないということは飲み水を手に入れにくいということになるのだ。 レゾリュートの近辺にやたらとクマが多いのも、いつもは凍っているレゾリュートの沖合いにもオープンウォーターがあるからだ。オープンウォーターとは海氷が割れて、 海が出ている所を言う。クマは餌のアザラシを求めてそういう海の出ているところに集まってくるのである。毎日衛星写真をチェックしているのだが、 レゾリュートの沖合いの氷が薄くなっているのをハッキリと見ることが出来る。昨年歩いた時にはしっかり凍っていたのだが、今年は凍っていない。 3月12日 レゾリュートの村から7kmほど離れたところに空港がある。その道すがらに気象台があり、ウェインという男が一人働いている。彼はここで20年以上前から気象の 観測を行ってきており、北極の気象、海氷にはものすごく詳しい。ウェインに話を聞くために気象台へ行った。 彼は190cm近い長身にあごひげを蓄えた男で、ものすごくいい人なのだ。とにかく話し好きで聞いてもいないことを次から次へと話し続ける。 その話によるとどうも今年の北極は海氷が薄いようである。私が歩くルートも氷が張ってはいるが、全体的に薄く、いつもは1m以上の厚みのあるところが今年は15cm しかないらしい。更にまだ3月にもかかわらずオープンウォーターがあちこちに出来ていて危険な状態であるのだ。ここを歩くのは自殺行為に等しい。 イヌイットの話にしても、気象台での話にしてもどうも今年は海氷上を歩くのはかなり困難だということが分かってきた。 しかし3月にしてこの氷の薄さとオープンウォーターの数は異常である。地球的な異常なのか、局地的な異常なのか分からないが、どうやら今年は計画変更をする必要があるようだ。 3月15日 イヌイットのランディと沖の方までスノーモービルで出てみた。途中シロクマを2回見る。小さいクマだが、体長はランディが言うには6フィートくらいだとの事。 クマの体長はどこで測るかというと、うつ伏せに寝かした状態で鼻の先からしっぽまでを測る。なのでその長さが6フィート(約180cm)ということは、 立ち上がったら2mは越す。大きいクマで3m以上になるのでいかにシロクマが大きいか、ツキノワグマが可愛く見える。先日ランディがガイドしたスポーツハンターが 捕ったクマが9.1フィート(270cm以上)だったというから立ち上がったら3mは越す。 シロクマはスノーモービルの音が大嫌いで、いつも人間に追いかけられているので一目散に逃げていく。それを追いかけて10m位まで近付き併走する。 レゾリュートの沖にグリフィス島という島があるのだが、そこまでの20kmの往復で2回クマを見るというのは確かに多い。途中一回クマがアザラシを食べた跡を見つける。 それにしても氷が薄い。それに雪が少ない。薄い海氷上に申し訳程度にしか雪が積もっていない。これではキャンプをすることも出来ない。リード(氷が割れて海の出たところ) が再凍結したところがいたる所に見られる。例年であればこの辺りは完全に結氷して雪も積もっているものだが、はっきり言って今年の気象状態は異常である。 北磁極を目指していたフィンランド隊から一人帰ってきた。足を怪我したらしい。詳しい状態は分からないが足を引きずって歩いているので状態は良くなさそうだ。 3月17日 今年の北極は静かだ。北極点を目指しているのもカナダ側は1〜2隊だけのようだし、北磁極に行くのもフィンランド隊だけ。その他で何かしようという物好きは自分と イギリスからトレーニングに来たグループだけだ。これからまだ来るかもしれない。 本格的に今回の計画を変更するつもりでいる。今回のレゾリュート〜ケンブリッジベイの徒歩行はルート全体を通して氷が薄く、リードやオープンウォーターがすでに出来ている。 これからは暖かくなってきて氷が溶け始める時期なので、薄い海氷がさらに薄くなっていくのだ。ケンブリッジベイまでの50日間というスケジュールを考えると 危険はあまりにも大きいと思われる。 代替プランについてここ数日色々考えている。海氷上は危険なので何処かの島の中を歩くつもりでいる。 島の上であればクマの危険もだいぶ減るし、薄氷に困ることもない。それに場所によってはカリブーやジャコウウシがたくさん住んでいて楽しみもある。 概して突然計画変更して危険なことをやると、準備不足で痛い目を見る。なので危険の要素の少ない方法で且つ目的意識に満ちたものをしようと思う。 今考えているのがゴール予定だったケンブリッジベイのあるビクトリア島の上を歩く計画だ。ビクトリア島は大きな島で、詳しい面積は分からないがおそらく九州の2〜3倍くらいあるのではないだろうか。 島にはコミュニティーは2ヶ所、ケンブリッジベイとホールマンのみ。両方あわせても人口は3千人くらいだろう。その他は無人地帯が広がっている。 まだこの時期は気温も−30℃以下で、低温化での生活技術も磨けるし、 島内は概ねフラットでアップダウンが少ない。さらにカリブーやジャコウウシが多く住む島なのでいい写真を撮れるだろう。楽しみを持たせた旅にしようと思う。 ケンブリッジベイの町を出て100km圏内くらいの無人地帯を歩いてみる。2〜3週間くらい行動してケンブリッジベイに戻るのだ。時には一ヶ所に数日とどまって色々観察するのも面白いだろう。 レゾリュートの裏の丘に登ってみた。100mくらいの高さがあり、沖のほうが良く見渡せる。丘に登ると沖の海氷が割れているのが良く見える。 夜になってフィンランド隊から更に2人戻ってきた。一人は手の指の凍傷、一人は背中を痛めたか何かしたらしい。これで計3人。確かメンバーは10人くらいいたはずだが、 スタート6日にして3人減ってしまった。彼らは私と同じ日にレゾリュートに入り、その2日後にスタートしている。準備期間が短すぎる。体が寒さに慣れていないから 凍傷にもなりやすいし、体も痛めるのだ。 3月18日 今の時期はスポーツハンターの多い時期のようである。スポーツハンターとはその名の通り趣味で狩りをやる人達のことだ。欧米には多く、特にアメリカ人が多いようだ。 レゾリュートにもスポーツハンターがやってくる。彼らの目的はポーラーベア、つまりシロクマである。カナダではシロクマは保護の対象になっている動物なので好き勝手に狩ることは出来ない。 シロクマをスポーツハンターが捕るには相当な金額でライセンスを取らないといけないらしい。数百万円単位である。ただしライセンスを取れば公に毛皮を持ち帰ることも出来る。 イヌイット達はそんなスポーツハンターのガイドの仕事もしている。 アメリカからやってきたというそんなスポーツハンターのおじさん、いやおじいさんと会った。インディアナポリスから来たらしい。 過去にもっと南の方でカリブーやムース(ヘラジカ)のスポーツハンティングをしたことはあるが、ポーラーベアは初めてだと話していた。年齢を聞くと76歳。 老後は各地でスポーツハンティングをして過ごす、うーむ、元気なじいさんである。 3月20日 スポーツハンターのおじいちゃんが出発した。ガイドがハンスとデイビッドの2人組み。ハンスは50代半ばくらいの年齢だろうか、 元々グリーンランドのシオラパルクに住んでいて、シオラパルクに移り住んで30年になる大島育雄さんとも仲が良いらしい。デイビッドも同じくらいの歳だろうか、 ハンスは気軽に話しかけてくるが、デイビッドは英語で話すのは面倒そうにいつも振舞っている。しかし実はとてもいい人なのだ。2人は言ってみればバリバリのイヌイットである。 犬ぞりを操らせれば自由自在だし、シロクマのパンツをはいて、アザラシのカミックを履いて犬ぞりのムチを振っている姿は惚れ惚れするほどカッコいい。 最強ガイド2人組みに囲まれた贅沢なおじいちゃんは犬ぞりの引くソリに乗ってあっという間に水平線に消えていった。 言葉について少し述べると、イヌイットは当然自分たちの言葉であるイヌイット語(イヌクティトゥト)を話すが、英語も話す。しかしそれも年齢によって、 また人によって異なる。50歳くらいまでの人は英語を難なく話すが、60歳以上くらいになると英語の出来ない人もいる。イヌイット同士はイヌイット語で会話するが、 若い世代は英語で会話することが多いように思える。しかし若い世代も当然イヌイット語は話す。年代が上になるほどイヌイット語の使用頻度が高くなり、 若い世代ほど低くなるようだ。一番顕著に現れていると感じるのが、小さい子供同士の会話である。イヌイット同士の子供も英語で会話しているのだ。 先日試しに5歳くらいの子供に「キノーヴィッチ」と尋ねてみた。イヌイット語で「名前は?」という意味である。その子は間髪いれず名前を言ったのでちょっと安心した。 その後に「カァォポットゥ」という英語だと「SeeYouTomorrow」という意味だが、言ってみたがこちらは分からないらしかった。多分自分の発音が悪いのだろう。 「僕のママなら分かるよ」と英語で返された。「カァォ」の所がイヌイット独特の喉から出す音で、難しいのだ。 3月22日 フィンランド隊の途中で戻ってきた二人が帰国した。戻ってきたのは三人だったが、もう一人は再び隊に戻ったとのこと。うーむ、大丈夫なのだろうか。 本来の予定だと今日から歩き始める予定だったが、今回は前述の通り計画変更の為に計画ルートは歩かない。ところがここに来てある変化があった。 海氷状態についてだが、一番氷の薄かったレゾリュートから南に下りる300kmほどのピール海峡が、つい先日まで氷の厚さが15cmという情報だったのが、 ここに来て最新の情報では1m以上に急成長しているのだ。ちなみにここでの情報というのは、アメリカのワシントンDCにある、 ナショナルアイスセンターという海氷や湖氷の調査研究を行っている機関からの情報である。しかしこの急成長は一体どうしたことか、気象台のウェインに尋ねてみると、 「オギタサーン、That means no snow」と言われた。「それは雪が無いからだよ」ということだ。積雪が無いのである。 なぜ海氷の急成長が積雪の無いことと関係するかというと、凍った海氷の上に雪が乗っている場合、雪が断熱材の役割をして−30℃の外気を直接海氷に当てない。 なので積雪がある場合は海氷の成長がゆっくりなのに対して、積雪がないと寒気がダイレクトに海氷に影響して厚みを急成長させるのだ。 積雪が無いと言うのは前にも書いたが飲み水の確保に困るのだ。また断熱材の役目をする雪が無いと言うことは、これから気温が上がってきた時に溶けるのも早いということではないか? どちらにしても今回は止めたほうが良いようだ。このルートは1000kmの無人地帯でレゾリュートからもケンブリッジベイからも狩りに出る人のいない地域なのだ。 なのでシロクマ天国でもある。不安を残したまま歩くのは危険極まりない。 それにしてもさすが20年間レゾリュートで気象観測をしているウェインである。色々なパターンの状況を把握しているのだ。 3月25日 今日は葬式があった。1916年生まれのおばあさんが亡くなった。レゾリュートの体育館で式が行われた。式には村人総出で皆集まっている。形式としてはキリスト教のものである。 ギターとアコーディオンの演奏で皆で歌を唄う。聖書を読む神父さんもイヌイット語で説教している。ここに参加させてもらって一番強く感じたことは、 死が誰にとってもリアルに感じる空間なのである。バスケットボールのコート一面分の体育館にいすが並べられ、村人はそこに座り、前には棺が置かれ、 その横で神父さんが説教をしている。棺の蓋は開けられており、歌を唄っている最中も、神父さんの説教の最中も、誰も彼もが大人も子供も棺を覗き込んでは泣いている。 村人同士が憚ることなく大声で泣いているのだ。皆正装するわけでもない、家にいる格好そのままで来ている。しかし皆気持ちは一つになっている。 子供だからと外に出されることもないし、子供にも積極的に棺を覗かせているようにも見えた。小さなコミュニティーの持つお互いの結束を強く感じた。誰もが死をリアルに感じる瞬間だ。 体育館での式の後、村の墓地に場所を移し埋葬の儀式が始まる。墓地は村から2〜3キロ離れている。ここにも皆乗り合いの車やスノーモービルでやってきて儀式に参加する。 凍った地面を掘るのは大変だったろう、2メートルほど縦に穴が掘られ、そこに棺が納められた。その上に皆が砂や石を少しづつかける。自分もかけさせてもらった。 スコップで完全に埋められて、平らにならされると十字の墓標が立てられ、綺麗な花で墓は飾られた。 体育館での式の最中も子供が走り回り、ドアをバタンバタンと開け閉めし、皆普段着で参加して、格式高い荘厳な葬式であったとは言えないかもしれないが、 人が亡くなったときにその人を送る心をこれほど感じた事は今まで無い。 3月26日 昨晩は外で一泊キャンプしていた。気温は−30℃ほど。計画変更でダラダラして、未だに外で寝ていなかったので気合を入れ直す為にもキャンプをしてみた。 久しぶりの低温化でのキャンプなのでどうも神経質になっているようだ。レゾリュートは目の前が海で、そこは湾になっている。夏なら波打ち際になるあたりでテントを張っていると、 時々氷の動く音が聞こえてくる。「グググッ」「ギギィィー」という音だ。更に風が少々強かったのもあってテントの揺れる音、それらが耳についてよく寝ることが出来なかった。 つい数日前に夜中にレゾリュートの村の目の前にまでシロクマがやってきた事があった。その時はテントを張っているところを通過して行っただろう。 やって来る可能性は低いがそんなことを考えるとちょっとした音にも体が反応してしまうのだ。 まだこの時期は夜があるので夜中は綺麗な星空が見える。夜中に一度テントの外に出てみたら頭の真上に北斗七星が見えた。私はかつて小学生の頃に天文少年だったので、 星というものに人以上に思い入れがある。昔は望遠鏡をのぞいては月を見たり、土星や木星といった惑星を見たり、さらにノートに全ての星座を書き写してみたりしていた。 今でも空を見ればいくつかの星の名前は言うことが出来る。だいぶ忘れてしまったが。 星空を眺めていると、あの星はどのくらい離れているんだろうとか、あそこに人が住んでるんだろうかと想像するとワクワクしたものだ。時々流れ星が見えたりすると得した気分にもなる。 太陽は地球よりもはるかに大きいのに、望遠鏡でのぞいているかぎりは点にしか見えないこの星が、その太陽よりもはるかに何十倍も大きい、 更にその星も銀河の中のほんの一部の点にしか過ぎない、更にその銀河でさえ広大な宇宙の中においてはほんの点でしかない。そんなことを考えると「宇宙ってすごいなー」 なんて子供心に感心していた。星の色による表面温度の違い、赤色巨星、白色矮星、中性子星といった違いも「アンタレスは火星の敵というくらいだから赤色巨星だな」 なんてマニアックなことも小学3年生くらいで言っていた記憶がある。天文ガイドという天文ファン必読の月刊誌があるのだが、私の兄が定期購読していてそれを一緒に見ていたものだ。 そんな思いを頭の中に廻らせながら星空に見とれていると、すぐに寒くなってきてテントに戻った。 3月27日 フィンランドから新たな男がやってきた。例の北磁極を目指しているフィンランド隊の一員でアウトドアフォトグラファーだという。それにしても出入りの多い隊だ。新しくやってきた彼と色々話した。 すると、私も会ったことのある日本人の写真家を知っているという。地球は狭いものだ、どこで共通の知り合いを持った者同士が会うかわからない。 彼と北磁極までのルートについて話す。通常北磁極まで行くには現在2ルートある。片方はとても危険で片方は島を越えるのでキツイ。3年前に大場さんたちと北磁極に行った時は 島越えのキツイ方を通った。危険な方は狭い海峡で海流が早く、通常海氷がとても薄いのだ。今年も衛星写真で見る限り相当薄いようなのでそっちは避けるよう言う。 初め彼らは危険な方を通るつもりだったらしいが、気象台のウェインの忠告もあり変更するらしい。 3月30日 スポーツハンターのアメリカ人のおじいちゃんが帰ってきた。2〜3日前に一度戻ってきたのだが、クマが捕れなかったとの事で再び場所を代えて出ていたのだ。 8フィート(240cm)のクマを捕ったらしい。改めて書くが、このおじいちゃんはアメリカ人で76歳。色々話したら仲良くなってしまって、出会うたびに 「How are you my friend!」なんて言われるようになってしまった。いつも一緒に食事をして色々話した。60歳まで医者をしていて、 今は定年後の気ままな一人旅。去年はカメルーンとモンゴルにハンティングに行ったという。今年はゴビ砂漠に行く予定があるらしい。アイベックスという山岳地帯に住む ヤギがいるのだが、このハンティングらしい。住所と名前の交換をしたら「シロクマの写真を送るよ」なんて言われた。「僕は1977年生まれだ」と言ったら、 「私は1927年だよ」との事。50歳も違うのか、うーむ、改めて元気な人だと思う。前にスポーツハンターはあまり好きではないなんてここに書いたが、 あっさりその印象を変えられてしまう私でありました。 4月 2日 明日ケンブリッジベイに移動する。ケンブリッジベイではここでも知り合いの家に泊めてもらえることになった。昨年レゾリュートで会ったケンブリッジベイに住んでいる男がいる。 彼に電話して泊めてくれといったらOKだった。 ケンブリッジベイに2〜3日宿泊してから、町のあるビクトリア島の島の上100km圏内くらいを歩くつもりだ。島の上にはジャコウウシやカリブーがたくさん住んでいて、 さらにライチョウ、ノウサギ、レミングなどもいる。気温もまだ−30℃くらいまで下がるので、低温化での生活技術を磨くことも出来る。そして何より写真を撮りたい。 今回の旅のついでに始めたようなカメラだったが、どうやら本格的にハマッてきてしまった気がする。カメラを教えてくれた友人のKよ、ありがとう。 さて、ケンブリッジベイではここの情報を更新するのは難しいかもしれない。なのでおそらく歩き終わってからになるだろう。2週間くらい歩くと思う。 日本に帰ったら撮影した写真もここで見られるようにしたいと思うのでお楽しみに。 |