2003年極北カナダ白夜のツンドラトレッキング マウントペリートレイルを歩く |
| INTRODUCTION |
極北の地には2つの季節しか存在しない。それは長い冬の季節と短い夏の季節。−40℃にもなる極寒の冬を耐え忍んだ生き物たちは、この短い夏の間に生命の大爆発を起こす。
そして再びやってくる長く暗い冬に備えるのだ。私は今年7月、そんな極北カナダのツンドラ地帯を一人歩いていた。カナダ北極圏には広大なワイルドライフが存在する。北米大陸の北に位置するクイーンエリザベス諸島 とカナダ本土の一部から構成されるヌナブト準州は日本の5倍以上の面積を持つ一方、そこに住む人は約2万8千人にすぎず、数百キロおきに小さな村や町がある以外は そのほぼ全土が無人の野生地帯である。日本の何倍もの広大なエリアに多くの動物が野生のままに生きている地域、それが北極なのだ。 そもそも北極とは何か?基準を何に置くかで定義の仕方は変わってくるが、多くの人が聞いたことのあるであろう「北極圏」とは、北緯66度33分以北の地域を言う。 その地域においては一年のうちに一日以上の白夜(夏の太陽が沈まない状態)と極夜(冬の太陽の昇らない状態)が存在する。季節の廻り方は北半球なので基本的に日本と同じである。 「北極は寒い」という固定観念があるかもしれないが、それも場所によって大きく異なる。夏には30℃以上になる場所も多い。 前述のカナダのヌナブト準州はその土地の殆どが北極圏に位置している。そんなヌナブト準州の村の一つであるケンブリッジベイはクイーンエリザベス諸島のビクトリア島 南端に位置し、晴れた日には海峡の対岸にうっすらと北米大陸を望むことが出来る。 7月12日に日本を出発した私はバンクーバーからエドモントンを経由し、さらにイエローナイフも乗り継いで7月14日にケンブリッジベイに降り立った。 4月に来て以来2度目のケンブリッジベイ。目的はツンドラの原野をバックパックを担いでの2週間一人旅。初めての夏のツンドラは快晴で私を出迎えてくれた。 |
| ヌナブト準州とケンブリッジベイ |
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ヌナブト準州は1999年にノースウェストテリトリーズ(北西準州)から分離した新しい州で、先住民族であるイヌイットの自治による州である。
「ヌナブト」とはイヌイットの言葉で「私たちの土地」を意味する。日本の5倍以上の土地にわずか約2万8千人が住み、土地の殆どが北極圏に位置している。 ケンブリッジベイはヌナブト準州の中でも比較的大きい町ではあるが、その人口は約1300人にすぎない。「ケンブリッジベイ」という名は近代になってやってきた西欧人が 付けた名前で、イヌイットの言葉でこの地は「イカルクトゥティアック」と呼ばれ、その意味は「魚を多く提供してくれる地」という意味である。 北緯69度付近に位置するケンブリッジベイは北米大陸の北に位置するクイーンエリザベス諸島の島の一つビクトリア島南岸に位置し、幅30キロほどの海峡を挟んだ 対岸には北米大陸を望むことが出来る。 古くからこの地に生きてきたイヌイットは「コッパーイヌイット(CopperInuit)」と呼ばれ、夏には魚を捕り、ウサギ、キツネ、カリブー、ジャコウウシを追い、 冬にはアザラシやホッキョクグマを捕って生きてきた。イヌイットは日本人と同じモンゴロイドである。数万年前に最後の氷河期が終わる直前、 現在よりも海面が低く地続きであったベーリング海峡をユーラシア大陸から渡ってきた人々のうち、北米大陸を南下せずに北上した人々がイヌイットである。 人々は木の生えないこの地にあって、石を積みあげた上にカリブーなどの動物の皮で作ったテントを張って住居とし、 数家族のテントを横につなげて長屋のようなものを形成していた。この地で初めてイヌイットによりライフルが使われるのが1920年代である。 つまりそれ以前は数千年の間変わらない方法での狩猟生活が行われていたことになる。ほんの80年前のことだ。西欧人が大西洋から太平洋へと船で抜ける新航路である「北西航路」 の開拓の為にやってきたのが19世紀後半である。それ以来西欧人は各地にトレーディングポスト(交易所)を設け、イヌイットから毛皮や獣脂を買い集めて貿易を行っていた。 貿易という言葉を使ったが、西欧の歴史上においては「貿易」かもしれないが、その実態が「搾取」であったのは言うまでもない。西欧人はイヌイットにライフルを与え、 イヌイットは次第に西欧の文明に触れていきその生活を変化させてきた。季節と共に移動生活をしていたイヌイットはトレーディングポストに集まり、村を形成する。 トレーディングポストはRCMP(RoyalCanadianMountedPolice、警察)が統治し、ローマンカソリックチャーチ(キリスト教会)の布教で多くのイヌイットがキリスト教化する。 小さなトレーディングポストは大きなものに併合され、または利便性の悪さから廃止され、多くが淘汰されて現在の村を形成するに至っている。
ケンブリッジベイから北東に15キロほどのところに「マウントペリー」という高さ209メートルの山がある。209メートルとはいえ平坦なツンドラにあっては突出した存在で、
ケンブリッジベイのシンボル的な山である。「マウントペリー」という名も後に付けられた名で、イヌイットはこの山を「オヴァヨック」と呼ぶ。平坦な夏のツンドラには多くの湖沼が存在し、小さな池から大きな湖まで大きさは様々だ。ケンブリッジベイからマウントペリーまでの間にも多くの池や湖がある。 そんな湖の間を縫うように一本の道が村からマウントペリーまで続いており、道には「マウントペリートレイル」という名が付けられている。 7月14日にケンブリッジベイに降り立った私は16日から45リットルのバックパックに一週間分の食料とキャンプ道具、それにカメラと三脚を持ってケンブリッジベイから マウントペリートレイルを歩き出した。 |
| ツンドラを歩く |
ケンブリッジベイからマウントペリーまでは約15キロ、徒歩で3時間の道のりだ。マウントペリートレイルという立派な名前はついているが、
その道を通るのは現地の人だけといっていいほどで観光客が来ることは滅多に無い。湖のほとりにはケンブリッジベイの住人のキャビン(別荘)が所々に立っており、
マウントペリートレイルはそんなキャビンに行く為の村の人達の生活道路といった色合いが濃い。それでも道沿いには昔のイヌイットの住居跡の遺跡とその説明プレートがあったり、
付近に生息している動物や鳥を解説するプレートがあったりと、一応観光客向けの整備はされている。
村から離れると人の姿は無い。誰もいないツンドラの一本道を一人荷物を背負って歩く。森林限界から数百キロ北上したこの地には「木」というものが一本も生えておらず、
なだらかにアップダウンした地面には高山植物のような背丈の低い草花が這い付くように自生している。ツンドラの一本道を歩いていると目の前をツバメほどの大きさの鳥が
鳴きながら飛んで行く。それ以外にもカモメやハクチョウ、シギ、ガン等どれも南からやってきた渡り鳥だ。そして夏のツンドラには蚊が多い。
風があるときには蚊は草の陰に隠れて出てこないのだが、一旦風が止むと見るや一気に波状攻撃が始まるのだ。
村から3時間でマウントペリーに着く。マウントペリーは高さ209メートルのテーブル状の山で、地図を見ると長さ5キロ幅2キロほどの南北に細長い形をしている。
山まで行くと道から外れた湖のほとりにテントを立てて一週間の宿として、一ヶ所に立てっ放しにして毎日付近を軽装で歩き回りながら写真を撮る。今回は45リットルと小さめのバックパックで、それに一週間分のキャンプ道具と食料を詰め込んでいるので装備は極力軽量コンパクトなものとした。 毎日のスケジュールは朝8時頃に起床、朝食を食べた後テント内でダラダラして時には二度寝。11時ごろからカメラと三脚、水筒、昼食、天候次第ではレインウェアを持って歩き出す。 行動範囲はテントから半径5キロくらいを動物を探しながら歩き回る。いつもまずはマウントペリーに登ってみる。木も無く、概ねフラットなツンドラを一望できるので、 山の上からはジャコウウシなどの大型動物は簡単に発見することが出来る。だが近くに居るときはいいのだが、大抵は遠くの方に豆粒のようなジャコウウシを双眼鏡で発見する程度で、 写真を撮るには当然そこまで歩いていかないといけない。「あそこまでは1時間はかかるな」と思ってものんびり歩いていくしかないのだ。 夏のツンドラは岩の露出したガラ場もあれば湿地のような所もあり、かなり歩きにくい。靴は足首まである防水性のトレッキングブーツが最適だ。 山の上から見つけたジャコウウシ目指して1時間かけて歩いていっても、警戒されて近付けずに写真も撮れない事もある。そんな時はガックリくるが、気を取り直してまたさ迷い歩く。 この時期カリブーはビクトリア島の北の方まで移動してしまっているので、ケンブリッジベイ周辺ではあまり見られない。動物といえばジャコウウシ、ホッキョクギツネ、 ウサギ、レミング、オオカミ、鳥といったところだ。その中でもやはりジャコウウシは大きいので見つけやすいし、一人でこっそり歩いていけば案外近付きやすい。 ウサギやキツネは毛が地面の保護色に生え変わっているのでなかなか見つけにくい。しかも近付きにくいのでやっかいだ。オオカミは生息しているらしいが現地の人でも 殆ど見ないということだ。 大体6時か7時くらいまで歩き回ってテントに戻る。毎日7〜8時間はひたすらに歩き回るのだ。 カナダ北極圏の島ビクトリア島。夏とはいえ極北の地の夜は冷える。7月中のこの地は日中の気温は10〜15℃くらいだが、夜間は2〜5℃とかなり冷える。 白夜とはいえ、真夜中の太陽は地平線ギリギリまで低くなるので夜間の太陽光は期待できない。天候は晴れか曇りの日が多く、トータル2週間のテント生活で本格的な雨は一度だけで、 それ以外に一度夜中に1時間ほどの猛烈なサンダーストーム(雷雨、暴風雨)が来たことがあった。後にケンブリッジベイの知り合いから「このあたりにサンダーストームが来るなんて 10年に一度あるかないかだよ。珍しいね」と言われた。運が良いのか悪いのか。 動物を探しながらツンドラを歩き回っているときには特に目的地は無い。ジャコウウシが見つかった時にはそこを目指して歩いているが、何も見当たらない時にはとりあえずウロウロする。 目的地も無くただウロウロするのはけっこう辛いものだ。「まだこっちは行ってないな」と思ったらとりあえずその方向に歩いていく。 一週間のテント生活後に一度ケンブリッジベイに戻り、再び一週間分の装備を持ってマウントペリーに帰ってきた。結局トータル二週間。マウントペリーの周辺を歩き尽くし、 池の一つ一つまで地図にかけるくらいになってしまった。 |
| ジャコウウシへの接近法 |
日本で生活している限りは全く意味の無い情報かもしれないが、参考までにジャコウウシへの接近法を紹介。ジャコウウシは一般的に獰猛だと思われているフシがある。確かにジャコウウシを撮影したことのある人の記録や文章を読むと突進されたなどと書いている人がいるが、 おそらくそれらは接近の仕方に問題があるのだろう。彼らも野生動物、近付かれたくなければそれなりの行動をするし、それを無視すれば攻撃されても仕方が無いことだ。 長い体毛と鋭くカーブした頭のツノという外見から一見攻撃的に思えるが、私はそうは思わない。今回の撮影でも最短で10メートル以内まで近付いたが問題は無かった。 ではどうやって近付くか? まず、基本は相手に近付いていることを気付かせない事。一番接近しやすいのは昼寝をしている時だ。このときはジャコウウシは完全に前後不覚になっているので、 いくらでも近付き放題である。おそらくゆっくり行けば触ることだって出来るだろうが、もしそこで起きられたら危ないのでやらない方がいい。
次に接近できるのは食事中だ。食事中はジャコウウシも食べるのに一生懸命になっているのであまりこちらを意識しない。昼寝をしているところに出会うのはめったになく、
接近できるチャンスといえば大抵は食事中である。食事をしているジャコウウシを見つけたらまずは風下に回り込む。ゆっくり歩いていけば50メートルくらいまでは難無く接近できるはずだ。
勝負はそこからとなる。50メートル以内になったら「だるまさんが転んだ作戦」を行う。50メートル以内になるとジャコウウシは大抵こちらに気付く。
「なんかあそこにいるなあ」みたいな顔をしてこちらの様子をみる。そんな時は絶対に動いてはいけない。しばらくすると再び草を食べ始めるので食事に意識が行ったところで接近開始だ。
ジャコウウシは草を食べている時には草にしか集中できない。食べながらこちらを見ることはまず無い。だがあるとき突然顔を上げてこちらを見るのでゆっくり近付かないと
動きを止めきれないことがある。基本はこちらが動いている姿を見せないこと。なのである程度近付いたらジャコウウシに対して直線的にまっすぐ動いた方がよい。
横移動は相手から見てあからさまに動いてしまっているからだ。こちらを見たら止まり、草を食べ始めたら接近する、そうやって行けば食事中のジャコウウシに10メートルくらいまで
接近できるのだ。
ここでポイントは群れの場合である。群れは当然たくさんのジャコウウシがいるので気付かれやすい。例えば6〜7頭くらいの群れだとすると、群れの構成に注目する。
群れには必ずオスのリーダーがいる。群れに接近する場合にはリーダーのオスには絶対に接近を悟られてはいけない。小さな子供や若いジャコウウシにはあまり気を使う必要は無い。
オスのリーダーやそれに準ずるオスやメスの動きには要注意だ。どれがリーダーであるかという見極めは何度か群れと出会っていると体の大きさや行動で分かってくる。どんな時に接近するべきでないか?ジャコウウシの群れは警戒すると、大人が半円形に並んで放射状にツノを外側に向ける隊形をとる。これはオオカミに襲われた時などに とるフォーメーションで、最警戒の隊形だ。こんな時には接近するべきではない。またこちらを見ながら前足で地面を掘ったり、頭を上下に激しく動かしたり、 顔を前足にこすり付けるような仕草も威嚇の行動なので間合いを広げる必要がある。 |
| ジャパニーズモニュメント |
1971年、3人の日本人大学生がケンブリッジベイ沖でシーカヤッキング中に高波にのまれて2人が遺体で発見され、1人は遺体すら上がらなかった。ケンブリッジベイに住む人々はその死を悼み、海岸沿いの丘の上に3つの碑を建てた。ジャパニーズモニュメントと呼ばれるその3つのケルンは30年を経た今でも 静かに丘の上から海を見つめている。しかしこの地を訪れる者には日本人でさえその存在を知るものは殆ど無い。 もしあなたがケンブリッジベイを訪れる事があれば、是非この碑を訪れ、手を合わせるだけでもしていただきたいと思う。 |